眼窩に隠した白珠を放棄せよと頼光が言った時、晴明は一瞬だけ残った右目を大きく開いた。
「……何と……?」
晴明は、頼光の言葉が理解できなかった。
頼光はもう一度、同じ言葉を繰り返した。
「これを戻しては、彼奴を倒す事は叶いますまい」
青い顔をした晴明が、低く言った。
――異世の者さえ滅する貴方であろうと
続く言葉を呑み込んで、晴明は頼光を見た。
晴明の白い狩衣の馬手には、血の花が描かれている。
頼光は目を逸らした。
初めて会った頼光が、たったあれだけの時間で理解しえた道満の心に、長い付き合いである筈の晴明は全く気付かなかった。目を抉り、白珠の毒に身を浸しても守ろうとするほど、人を愛しているのに。
ここで頼光が何を言えば気付いてくれるというのだ。
――その欠片ほどでいい、亡者といわれたこの私も愛してくれ
だが、声は出なかった。
頼光の沈黙に、晴明の表情が変わった。
子を守るために戦おうとする、母の顔に。
「……その愚かしさを貴方の魂の墓標と致しましょう」
晴明の扇子がパシンと音を立て、殺気が頼光に吹き付けた。
――殺すのか、私を
痛いほど寒い天の麓にいながら、呼吸の度に晴明の殺気が頼光の肺を焼いた。
頼光の放った巫術は、晴明の肌に触れる前に消えた。
「剋目なされませ、これぞ真の巫術!」
翻って、晴明の巫術は、頼光の肉を鞣した。
弾き飛ばされて顔を上げれば、もうそこに晴明の姿はない。
漸く探し当てれば、その殺気の鋭さは避ける余裕を失わせ、頼光は自分で気付かぬうちに晴明に向かって剣を振り下ろしてしまっていた。
数々の妖鬼を易々と刻んだ頼光の剣を、だが、晴明はただの舞い扇で受け止めた。
我に返った瞬間、晴明の青嵐で、頼光は再び弾き飛ばされた。
「まさに神をも屠る力」
遠くで、晴明が言った。
「何故その力、彼奴に向けませぬ」
余程頼光の方が尋ねたかった。
何故それほどの愛を持ち得ながら、求める者にその片鱗も分け与えてくれないのかと。
巫術が効かねば、晴明を止めるには刃を向けるしかなかった。
晴明の巫術が頼光を焼くように、晴明に傷をつける度に、頼光の魂が軋んだ。
遂に晴明を追い詰めたと思った時、頼光の手を拒むように晴明が跳んだ。
落ちていく晴明を追い、頼光も跳んだ。
晴明に意識があったなら、尚も頼光の手を拒んだのだろう。
立ち歩いていた事さえ有り得ないほど弱っていた晴明は、頼光の腕に抱きとめられても微動だにしなかった。
震える手で、頼光は晴明の前髪をそっと払い除けた。
ずっと左目があると信じていたそこで、白珠が光っていた。
封印を解く呪を唱え、印を結んで切ると、意識の無い晴明が呻いて痙攣した。
眼窩から引き抜いた白珠は、本体に向かって天を登っていった。
「人をこれほど愛しても、私を殺すのだな」
先程までの晴明の殺気が、未だに頼光の肺を焼き続けていた。
意識があったならば必ず頼光が触れることを拒んだであろう晴明を見下ろし、頼光は絶望に俯いた。
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