新月5

 それは闇のうちに潜んでいた。
「闇のうちに参れ」
 道満は闇を寿ぎ、その奥で手招きをした。
 彼ほどの才を以ってしても、決して晴明に手が届かない事を悟った巫術師は、晴明の内に流れる力の源に縋り、晴明を振り向かせようとした。
「高みの見物か。どこまでも賢しい女よの」
 道満の闇が溢れるのを防ぐ結界を張り、その外で立っている晴明を道満は恨めしげに、眩しげに見た。
 大人しく御簾の内に座し、黒髪と襲の色目しか見せぬ女であれば惹かれる事もなかったのに。
 男の装いで女を捨てている事を示しているのでなければ、名乗りを上げて妻問いする事も出来たのに。
 牙と爪を得た今、せめて掻き抱いてその肌を裂いてくれようと思えば、それすらもさせない。
 道満がどうしてこれほど苦しんでいるのか、晴明は全く気付いてはいないのだろう。蔑まれる事すらして貰えない。
 お前も同じだろう、と道満は頼光を笑った。
 闇の中に居れば、叶わぬ思いにのたうつ姿も、傷ついた誇りも、滂沱の涙に暮れる姿も見られずに済むのだ。
「参れ、闇の内に参れ」
 道満は頼光の剣を受けながらも囁いた。
 無理だ、晴明の心を得る事は出来ぬ、お前など傀儡としか思っていないぞ、と。
 反論の言葉を持たない頼光は、無言で剣を振るった。
 それでもお前と同じにはならないと。
「めげぬ若造だ! 気に入ったぞ!」
 封じられた光岩を解放すると、その光に照らされる事を恐れ道満は奥へ逃げ込んでいった。
 自ら選び取った事でありながら、誰よりも晴明に己の姿を見られる事を恥じて。
 たとえ傀儡としてでも、纏った白く輝く甲冑より美しい姿をしたまま晴明の近くにある頼光を呪いながら。
 すべての光岩が解放され、その姿を晴明の前に晒した道満は怒りに咆哮した。
「そうか、貴様か!」
 禍々しい燐光で頼光を貫きながら、道満は牙をむいた。
「最初から貴様が居れば、晴明が自ら目を抉る事もなかったであろうにな」
 漸く頼光は、晴明が顔の左側を覆っている理由を知った。
「我に汝の力があれば、かような事にはならなかったであろうに」
 ヒトの姿形を捧げて手にした力でさえ、片目を失った晴明に届かず、美しい姿のままの頼光に及ばない。
「道満、何故人を捨てた」
 晴明が訊いた。
 無情にも、哀れみの眼差しさえ向けて。
「……力よ!」
 欲しかったのはその眼差しではない。
 醜い姿を恥じている事を悟られないよう、苦しくても道満は晴明の前で胸を張った。
 哀れみよりはいっそ、蔑まれる方がましだ。
 苦しげに視線を外した晴明の、空隙の筈の眼窩から見知った光が漏れた。
 道満に禍つ力を授けた荒ぶる神の光。
「御方よ! 見つけましたぞ!」
 道満は笑った。今更それ以外に何が出来よう。
 狂ったように笑い、黄泉で晴明の手を取る事を夢見て、道満は事切れた。
「……月輪の時は来た」
 道満の恋に遂に気付く事のなかった晴明が、頼光の想いにも気付かぬまま丸い月を見上げた。
「今こそ決着をつけるのです、頼光」

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