ヘファイストスは、内心打ちひしがれていた。
たかが少年相手に何を向きになっていたのだろう。
「お、兄者、此処にいたのか」
回廊に明るい声が響いた。取次ぎの巫女の後ろから、アレスが手を振った。
「留守だと言うから、きっと姉者の処だと思ってね。この剣が今ひとつしっくりしなくて、……」
アレスが言葉を止めて、ヘファイストスの顔を覗き込む。
「なんかあったのか?」
「ちょっと落ち込んでいるんだ。我ながら大人気ない事をしたと思ってね」
「兄者が大人気ないんじゃ、俺なんかどうするんだよ」
アレスは、笑いながらヘファイストスの広い背中をバンバン叩いた。
「でも、兄者に大人気ないって言う事をさせるようなヤツがいるのか」
アレスも黒い髪をしているが、癖があって、それを無造作に短くしている。鳶色の瞳に好奇心を浮かべている。
「ああ、一緒だったのか」
二人が入って来たのを見て、アテナが立ち上がった。
「オデュッセウスは大丈夫そうか」
「もう少し休んで、あれを飲ませておけば大丈夫だ」
「オデュッセウスって、誰だ?」
「イタケーのラエルテスの子だ。最近来たんだが、急に熱を出してね」
二人に椅子を勧め、自分も腰をおろすとアテナはヘファイストスに尋ねた。
「オデュッセウスをどう思う?」
「……面白い子だね」
ヘファイストスは動揺を表さず言った。
アテナは嬉しそうに言う。
「そうなんだ、飲み込みも早いし、回転も良い」
「綺麗な少年だしな」
ヘファイストスが隠しきれなかった言葉の棘に、アテナは気付かない。
「剣も程々やるようだし、何しろやる気があるようだから、色々教えてやろうかと思うんだが」
明るく話すアテナに、微笑を崩すことなく、ヘファイストスの拳に力が込められている事を、横に座っていたアレスは気付いた。
殆ど冷静さを失う事のないこの男に、『大人気ない事』をさせたのがそのオデュッセウスであると、アレスは感づいた。
「俺にもそのオデュッセウスに会わせてくれよ」
アレスは、悪戯を思いついた少年のような顔をして、明るく言う。
「良いが、回復してからだ」
「じゃ、それまで、姉者の所に居て良いか。どうせ兄者も此処に来たら当分帰んないんだろ」
「では、部屋を用意させよう」
アテナが出て行ったのを見て、アレスがヘファイストスに囁きかける。
「そいつが、生意気な口でも利いたんだろ」
またヘファイストスは嘆息した。
「……お前は、変な所に勘が鋭いな」
「姉者のお気に入りじゃ、表立って痛めつける訳に行かないから我慢してるのか」
「その剣のどこが変なんだ」
あからさまなはぐらかし方に、アレスは含み笑いをして、それでも素直にヘファイストスに剣を渡す。
「どうせ、姉者の事だろ」
ヘファイストスが咎めるような目をして見る。
「ま、多かれ少なかれ、此処にいる連中は姉者にいかれてるようなのばかりだしな」
「そう思うなら、お前もそういう口の利き方をやめないと、どう言われるか分からんぞ」
「元々碌な事を言われちゃいないし。今更、めんどくさくてな」
確かに、ぞんざいな口の利き方だが、素直な所がアレスの持ち味でもあった。ヘファイストス自身、この明るさに救われた事も多い。
「そうだな、今更治らないか」
「それも随分な言われようだけどな」
アレスは、デカンタの液体をカップに注いで、飲もうとして止めた。
「何だこりゃ、悪くはないが、凄い香りだな」
「それはオデュッセウスの薬だ」
「兄者が作ったのか」
「トリートゲネイアだ」
「毒でも入れとくか」
「そんなことはせん」
「そんな事しなくても大丈夫だな。兄者より好い男はそう居るもんじゃないし」
「それは誉めてるんだな?」
「ほかにどう聞こえるんだよ」
扉が開き、入って来た巫女が深々と頭を下げた。
「お部屋のご用意ができました」