白珠

「それにしても、このモノ共、如何にして此処を嗅ぎ付けたものか」
 呟いたところで、その気配に気付いた。
 封珠院の外を濃い霧が覆っている。
 私から頼光を遮断しようと言うのか。
「晴明様?」
 貞光が私の顔をのぞき尋ねる。
 霧の中に目を凝らすと、眉間に薄く縦皺が寄る。
 霧の為に薄まった頼光の気を辿れなくなり、私は立ち上がった。
「……頼光の気が途切れました。此処は頼みます」
「承知」
 季武の応える声を背にして、跳んだ。
 その霧を抜けるのは容易かった。
 ……これは月の物だ。
「愚かな事よな」
 封珠院に置いた白珠は、白銀人や土蜘蛛にならば、一定の価値は在ろうが、月の者には意味のない物だ。
 それでも月の者に対しても、備えてはあるのだが、据え置いた罠はすべて発動していた。
 そして、すべて突破されていた。
 罠を破る為に、頼光を利用したのだろう。
「なるほど、多少の知恵は回るようだな」
 酷い有様だった。
 漆と金泥で彩られた柱も砕け落ち、壁は焼け焦げ、扉は総て断ち切られていた。
「……この程度、頼光には、児戯に等しいか」
 金彩蒔絵の破片と断ち切られた式の紙片を手に取り、思わず溜息が出た。
「私に……」
 言霊にせぬよう、唇を咬む。
 私にこの力があったならば。
 詮の無いことを言っては、言霊が己が魂を苛むだけだ。
 立ち上がり、妖鬼の元へ向かう。
 月の者には無用の物とて、それを別の勢力に渡されては不味い。
 傲慢な声が響く。
「よくぞ取り戻したな、頼光よ」
 あれだけの我が罠を覆したというのに、事も無げな風情で、頼光は無表情に妖鬼の前にいた。
「遅かったな、晴明よ」
 更に傲慢な態度で、私を見てそれは言った。
 何という醜さ。
 頼光の向こうに立つそれを見て、吐き気がした。
 女でない妖鬼が、男のなりをした女のふりをしている。
――これが私の姿を映したものか――
 平静を保ちきれない。
 ならば、私自身はこの偽者より、もっと醜いのであろう。
 人でない者が人の体を持ち、男でない者が男のなりをしているのだから。
 それにしても、手にしてさえ分からぬとは、月の眷属でありながら、偽者には彼奴と私の違いも無いのか。
……それとも私は、それほど彼奴の血を濃く継いでいるのか。
「手にした物を良く見るがよい。己が主かどうかの区別も付かぬか」
 自分への侮蔑を嘲りを込めて言うと、驚愕と憎悪とが私に向かってきた。
「貴様! またも謀ったのか!」
 偽者の言葉の、何かが小さく引っかかった。
 が。不快さに耐えきれなかった。
「偽者には偽物が相応しいな」
 焼き祓う。
 私の姿を映した、醜悪な偽りの存在を解放すべく。
「セイ……メ……イ……!」
 炎の中で、私を写したモノが私の名を呼ぶ。
 私を見つめて。
 揺らぐその炎から目を逸らし、引っかかった言葉を思い出す。
……『またも』……?
 私がこの者を、以前も騙したことがあるというのか?
 この者は、この姿になる前は誰だったのか?
 月の狐よ。
 妖鬼はその憎悪の眼差しを、頼光に向けた。
 よろめきながら頼光に向かう。
「お前が如き地の穢毒が側に居れば、晴明が穢れようが」
 頼光がびくりと体を震わせる。
 違う。
 地上の穢毒たるは私。それを祓うのが頼光の刃であるのに。
 老いと死を知らぬ者には、頼光の力の尊さが分からぬか。
「お前如き者に晴明は渡さぬ」
 よろよろと、炎を纏ったままの妖鬼が、頼光に向かう。
 頼光は、妖鬼を見ている。
 妖鬼の戯言に、絡め捕られたかのように頼光はわずかに後ずさっただけ。
「せめて此奴だけでも……!」
 退く事もせず、剣を()もたげる事すらしないままの頼光を、その妖鬼は抱き締めた。
 妖鬼の纏う炎が頼光にも広がるが、そうなっても頼光は抗う事をしない。
「貴様も我と共に闇に落ちよ!」
 私の術だけでなく、妖鬼は残った月の力で、頼光に火を放つ。
 炎を消そうと呪を唱える隙もなく、耳障りなほどの笑い声をあげて、妖鬼は消失した。
 その醜い姿形の妖鬼だけでなく、携えていた剣諸共、頼光も現世から消え去った。
「何という油断を……」
 目の前が暗くなる。
「頼光を失っては……最早……」
 神をも屠る刃がなくば、彼奴をどうやって止めるのだ。
 頼光。
 頼光!
 我が神と私自身に死を齋す筈の。
 私の罠さえ物ともせぬあの頼光が、何故ああも易々と奴の手に落ちたのか。
 何故頼光は、あの手を振り払わなかったのか。
 何故。……何故。
 私の傀儡である事に飽いたのか。
 私の罪を祓ってはくれないのか。
 何故……何故……!
 不意に掌に痛みが走り、正気に返る。  握りしめた掌に、先程の漆金泥の破片が傷を付けていた。
 二人が燃え落ちた石床は、とっくに冷え切っている。
……随分長い事呆けていたのだな。
 今はそんな暇はない。
 考えよ! 考えよ!
 ……白珠……!
 在処を知れば、四天にすら危険が及ぶ。
 四天王達も、あの醜い偽物に籠絡されている。四天も月の者の術にはまっていないと言い切れようか。
 頼光ですら易々と奪われてしまったのだ、誰にも奪われず、誰にも気付かれる事のないところ。
「あの者には……私と区別が付かなかった……」
 そう。
 かの荒ぶる神の身から作った本物の白珠を、懐から取り出す。
 彼の者は、我が懐にそれがあった事にさえ気付かなかった。
「白珠……か」
 掌の上で光る白珠を見る。
「在るべき処に置けば良い」
 何が起きるか、それは予想に難くない。
 顔の半分を覆う前髪を払って、耳に掛ける。
 最初に抉り出した、左目の大きさを思い出し、術を持って白珠を小さくする。
 白珠の力が凝縮されて、一層強い光を放つ。
「人の身で在ればともかく、私ならば一朝一夕で死ぬ事も無かろう。まさか忌むべき此の力が、役に立つ日がこようとはな」
 大きく息を吸ってから、塞がった左の瞼を切り開く。
 血が狩衣に落ちないようにしなくては。四天に気付かれてはならない。
「ぐ……あ……っく」
 痛い。
 己が目を抉り出した時よりもずっと。
 白珠の発する光自体が、刃の棘になっているかのようだ。
 眼窩に納めると、頭の中に直接その棘が刺さる。
 光が体中を巡る。
 寒い。震えが止まらない。
 それなのに、全身の毛穴から汗が噴き出す。
 声が漏れぬよう、震える両手で口を塞ぐ。
――頼光――!
 何故あの手を振り払わなかったのです、頼光……?
 痛みと悪寒は全く収まる気配はないが、封印を施さねばならない。
 月の者には開く事の出来ない呪。
 その苦痛から意識を逸らそうとすると、炎に包まれている醜悪な偽物と、頼光の姿が浮かぶ。
「……頼光……」
 そう、季武の知るより遙かに古い、頼光の使う呪であれば、知る者は地にも月にも在るまい。
「母を我が身に宿す事があろうとは。母よ、いずれ我と共に黄泉へ参りましょう」
 呼吸を整え、呪で汗を止める。気付かれてはならぬのだ。
 誰にも。

「何がございましたか? 頼光様はどちらに?」
 貞光が尋ねたのにも、口からは直ぐに言葉は出なかった。
 目を堅く閉じ唇を咬んで、もう一度呻き声を飲み込んでから、残った右目を開けた。
「頼光を失いました」
 再度目を閉じ、声が震えぬよう呼吸を整え、それから続けた。
「皆の命を賭した光であったのに、私の油断で」
「……まさかあの者が、そう易々と敵の手に掛かろうとも思われぬ」
 季武がやっと口を利いた。
「私が油断したのです、私が」
 右手で狩衣の胸をぎゅっとつかんでいないと、震えが止まらない。
「……白珠は他所へ隠しました」
「何処へだ?」
 綱が訊いた。
「頼光に見分けが付かぬほどの、私の偽物を彼奴は作っていました。ですからお話しできませぬ」
 一度その偽物の言に従い、将門を解放してしまっている四天らは、それ以上食い下がることはなかった。

 そこからは、砂山が崩れるようだった。
 こんなにも頼光の力に依存していたのかと、四天が嘆く間すらないまま、妖鬼共が押し寄せた。
 黄泉を端から端まで訪ねても、頼光の魂の欠片さえ見当たらない。
 月の者達が唆したのであろう、白銀人らは宙船を仕立てて来襲した。
 朱月童子らの陽動にうかうかと乗せられ、都上空の異変に気付いた時には、白銀の船の砲術が街を焼いていた。
 桜舞う参道にて落ち合う事にし、四天に民草の救難を任せた。
 まさか、我が神までが待ちかまえていようとは。
「晴明、貴様の揃えた手駒は、存外脆いものよう」
 朱月童子は、遅れてやってきた私を嘲って笑い、頼光が異世に封じられた事を漏らした。
 月に在る時なら私に抗う事など無かった者達が、私を嘲る。今の私は弱って見えるのだろうか。
 無理もない。
 私とて、黄泉までは見ても、異世を訪ねた事はない。月の神であっても、異世までは見通す事が出来ぬ。
 頼光の在処を教えたのは、私を侮っていた所為ばかりではなく、童子は私の心を打ちのめし、我が魂をこの青い星に縛り付けている鎖を断ち切ったつもりだったのだろう。
 かの神が私を待たずに去ったのは、これで私が「改心」し、彼の神の庇護の元に戻ると思ったからに違いない。
 月に在る者すべてがそうだったように、私が己の命諸共己が神を弑すつもりであるなどと、彼は考えもしなかったのだ。
「愚かな妖鬼よ、在るべき処へ帰るがよい」
 霧散した月の者に言った後、黒煙を幾条も上げる都を見下ろし、呟いた。
「あれに見えるは、我が過ちの証。必ず濯いでくれようぞ。……異世が煉獄であろうとも、きっと頼光を取り戻す」
 左の眼窩にある物が、我が身から逃れようとあがく。
「暴れるな、急かさずとも、総てが終われば我共……」

――了――

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