月狐の白珠を除いたとはいえ、未だ晴明は弱っていた。
白銀人と土蜘蛛は滅したが、総ての妖鬼が滅んだわけではない。
そして人も、白銀人に家を焼かれ、疲弊していた。
晴明に、頼光の体を保持し続ける力がない事は明らかだった。
「傀儡としての用は済んだであろう」
得る事が出来ないなら、望むだけ苦しみが深くなる。
望むまいとして、冷たい声で頼光は言った。
「……承知いたしました」
晴明も、そう答えるしかなかった。
眠りの場の、砕けた桜の根方でもう一度二人は向き合った。
「長い時、まこと苦労をかけましたね」
奉魂の剣を押し戴いて、晴明が静かに言った。
『残されて生き続ける事は、果てのない苦しみよな』
再び黄泉比羅坂姫の言葉が甦った。
公時や貞光は言うに及ばず、異形の姿を選んだ季武や綱であっても、晴明を残して寿命を迎えるだろう。
長き平安を得れば、人は晴明がその命を削って守った事など忘れ果て、晴明を怖れ、忌むだろう。
やがて晴明はただ独り生き続けるしかない。
晴明自身も分かっている。
もう一度、頼光は晴明を見た。
初めて会った時とやはり同じ、殉教者のような眼差し。
だが、月狐のものが失われて、今それは、ずっと覆い隠されていた晴明だけの光を放っていた。
『月の加護なくば、橋を渡ることはできまいぞ』
朧月橋で黄泉比羅坂姫は頼光に言った。
あの時の月の光だった。
あの時頼光を加護していた月は、晴明だったのだ。
既に、頼光は晴明の愛を与えられていたのだ。
「今はゆるりとお休みなされませ」
それにやっと頼光が気付いた時、果てのない苦しみの中に残される晴明が、それでも微笑んで、頼光を抱き締めた。
「またまみえよう」
奉魂の剣に貫かれ、無数の桜の花弁になって散りながら、微笑して頼光はそれだけを囁いた。
この檻を自ら打ち破る事が出来るようになるまで。
必ず晴明のもとに戻るとの言霊を残して。
「……私を許すと……?」
桜樹の内に、音もなく戻っていく奉魂の剣を、頼光を見るように目で追って晴明は訊いた。
「分を越えた事やも知れませぬが……」
頼光の安らかな眠りの為の舞を捧げ、再び満開の花をつけた桜の根方を晴明は抱くように伏した。
「……此処で貴方は私を見ていてくれると、思ってよいのですか……?」
かつて妖鬼に蹂躙され、逃げ惑う人々を見て、晴明は降り立った。
どれほど捜し求めても、そこに、晴明の光の下で魂呼を滅した巫術士の姿はなかった。
その名を知らなかった晴明は、頼光を呼ぶ事が出来ず、左目を抉り出した。
未だ晴明は、頼光の思いに気付いたわけではなかった。
それでも、頼光の最後の言葉は、晴明の孤独をどれほど軽くしただろう。
「ならば、無様な姿は見せますまい」
晴明は背を伸ばし、妖鬼と戦っている筈の四天がいる筈の出口に向かって、振り向かずに去っていった。
了
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