新月1

 外は雪。
 洞穴内も、長い年月をもって成ったような大きな氷柱が、無数に下がっている。だが安らかな眠りを齎す為か、其処だけ水は温み、桜の巨木は雪でなく花弁に包まれていた。
 その桜に抱かれた、墓標の如き大きな剣。
 血臭の中、白い狩衣が舞う。
 水に裾を浸しながらも、水音を立てずに。濡れた裾の重みも感じさせずに。
 なまじな舞い手でない事は明らかだった。
 扇が翻り、袖が揺れるに従い、見えぬ封印が弾けていく。
 舞が終わると、桜は瓦解し、白銀の鎧を纏った公達が降り立った。
 その恐ろしげな意匠の凝らされた鎧と対照的な、若く優しげな姿に舞い手は驚いたようだ。
 頼光は眠りを妨げた者の顔を見た。
 人目に触れるのを惜しむように、整った顔の左半分を垂らした前髪で覆い、着衣の上からもそれと分かる妙齢の女性の肢体を男の服装に納めたその人は。
 殉教者のような瞳。
 二人は暫し、水に足を浸し、見つめ合った。
「よくぞ黄泉がえられた、古の巫術師よ」
 我に返った舞い手は、優雅な仕草で頭を下げた。
「この者達は未だ死したわけではありません」
 そう言いながら、正視に耐えぬらしく、舞い手は顔を背ける。
 此処まで辿り着くような者が、血や死体を怖れる筈はない。
 桜の花弁の浮かぶ水の中に倒れているのは、彼女の親わしい者であるのは明らかだった。それを捧げてまで頼光を呼び起こしたのは、如何な事態であるのか。
 桜の内に封じられていた者が呼ぶように手を差し出すと、持ち主の背丈ほどもある剣は、空を漂い、静かに其処に収まった。
 舞い手が逸らしたその視線の先に、飛来する妖鬼の影があった。
「貴方の力、見せてもらいましょう」
 そう言いながら、頼光の背後に立った舞い手は、両手に扇を開き、油断せずに立っていた。
 頼光が討ち漏らすような事があれば、との用意だったようだが、それは直ぐに不要であると察したらしい。
 最後の夜叉鴉を滅すると、舞い手は静かに頼光の隣に立った。
「姫君、何とお呼びすれば良いか」
「私は安倍晴明と申す者」
「安倍の姫」
「ただ晴明とお呼び下されば」
「……晴明、御身は何故男の衣装を着けておいでか」
「袿、唐衣を重ねて居っては、立ち歩く事すら儘成りませぬ故に」
 それだけならば、烏帽子まで着ける必要はない。
「御身が立ち歩く必要など有るまいが。……その為に私を呼び起こしたのではないのか」
 晴明は不思議そうな顔をした。
「……いいえ。どうして私が……。勿体無くも源の君に目覚め給いておきながら、座しておる事などできましょうや」
「我は傀儡ぞ。何なりと申し付くるが良かろう」
「何故そのような……お目覚め願ったをお怒りであられるか」
 何故黄泉津比良坂姫のように、晴明は蔑んだ物言いをしないのか。それが頼光には分からなかった。
 死を齎す、忌まわしき、穢れたる力。
 それを使役する為に呼び覚まされた筈なのだから。
 そして、傀儡である間は、その穢れた力さえも、自分の物では無い筈だった。
「我の妖鬼を滅するとの誓いを知って、そを利用するのであろう。我は亡者、その心など気に掛ける必要は有るまい」
 その言葉に棘がある事に気付いてはいたが、何故こんな事を言ってしまうのか、頼光自身にも分からない。
「お怒りは当然……」
 晴明を傷つけたと知ったが、言葉は戻す事が出来ない。
「総ての罪はこの身に。何卒都を救い給え」
「頭を下げる必要はない。貴女は命じさえすれば良いのだから」
 晴明は小さく嘆息し、洞穴の最奥にひらりと飛び行きて、四天の骸に術を施した。

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