最期の贖罪

 この気を知っている。
 考えるまでもないことだ。
 そもそも、私を呼び起こす事の出来る力を持つ者が、他にいるわけもない。
 花弁を散り敷いた水に降り立ち、その姿を探した。
「……晴明?」
 誰もいない。
 否、そんなはずがない。
 桜樹の周りを回り、息をのんだ。
 氷のように冷たい水の中に倒れている者。
「晴明!」
 急いで抱き起こした晴明の頬に血の気はなく、唇は青ざめている。
 水の中から出て、やはり凍ったように冷たい土に晴明が触れないよう、膝の上に載せた。
「……頼光」
 濡れた髪が張り付いた、白い顔で晴明が弱々しく微笑んだ。
「貴方は自由です。貴方を縛る鎖はもう在りません」
 話している間に、晴明の濡れた狩衣の上に一つ、赤い点が滲み、あっという間に広がっていく。
「月も、もうこの青き星に干渉することはありません。……ようやく貴方を死の狭間から解き放つ事が出来ました」
「口を利く間があるなら、傷を塞げ!」
「無用です」
 晴明の腹の上に手をかざしたが、巫力が入っていく気配はない。
 額に脂汗を滲ませて、それでも晴明はくすりと笑った。
「貴方でもそんな顔をするのですね」
 気付いた。
 この傷を成しているのは、私の使えない理。
 月のものだ。
「最期に貴方に会えました」
 腕の中で、巫力が見る見る消えていくのを感じる。
「独りで逝くな!」
「黄泉に意識を飛ばした事は何度もありますが、己が足で赴くのは……やはり……私が往くのは茨の道なのでしょうね」
 晴明はふわりと笑う。
「ならば私がその茨をなぎ払う刃となろう、独りで逝くな」
 私が言い終わる前に、晴明の手が落ちた。
「晴明……!」
 空気の冷たさが、晴明の体の奥まで沁み込んでしまう。
 濡れた体が外気に触れぬよう、両腕で包み込んでも晴明の体温は失われていく。
 気付けば、晴明の体は、水と同じだけ冷たくなっていた。
 もうそこに、晴明の魂はない。
「……独りではやらぬ」
 奉魂の剣の収まっていた桜樹の洞に、晴明の体を座るように納めた。
 月の白銀の玉座の代わりに、晴明が桜樹の脇息に凭れて転寝をしているようだ。
 その上に封印を施す。
「暫時待て、直ぐに追いつく」
 あれは私が黄泉返った事に気付いているはずだ。
 私が誤って解き放ってしまった、紅い髪の鬼の王。
 他の総ての罪が許されたというのなら、あれが私が購うべき最期の罪。
 指先で己の頬の滴を拭って、奉魂の剣を握り直して立ち上がった。
――了――

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