無明無色

 滴るほどの緑ですら紅蓮の炎に燃え上がった後、降り出した雨によって、ようやく都の火は消えた。
 だが、まだくすぶっている所が多く、雨が当たるごとに白い湯気を上げている所も多い。
 降り続けている雨の中に、晴明は立ち尽くしていた。
 先日まで色とりどりの花が咲き、人々が行き交っていた場所に、色は失われていた。
 連翹の生け垣を見越す、風に揺れる小手毬の枝。
 木蓮の花、道端の蒲公英、菫の花、虞美人草、蓬の若葉。
 それは総て炭と灰になって崩れ落ちていた。
 頼光を失い、都を失い、四天の三人を失い、公時の言葉がなければ、貞光も失っていた。
 枯れ果てた涙の代わりに、止まぬ雨が晴明の頬を伝わって落ちる。
 無念の魂が雨の中で呻くのが、晴明には聞こえていた。
 己が死したことにすら気付かず、無明の中にいる魂達が、晴明の光に縋り着く。
 今の晴明に出来るのは、黄泉への道を指し示すことだけ。
――穢れたる澱を黄泉へと押し流すは、月の意志ぞ
 脳裏で白い荒ぶる神が言う。
「否」
 晴明はかぶりを振った。
 顔の左を覆う髪の先から、滴が飛び散る。
「そうではない、こんなものが」
 晴明は両手で顔を覆った。
「こんなものが月の意志であろう筈がない」
 呻吟している晴明の乾いた目に、白銀人の船の残骸が映り込む。
 それすらも燃え落ち、色を失っていた。
 白銀人が人を滅ぼしたならば、その後彼奴が白銀共を滅するであろう。
 彼奴にとっては、どちらも忌むべき地の穢れなのだ。
 黒煙を上げる都を眼下に、月の眷属の一人が死の淵でさえ、晴明の造反を嘲り罵った。
「……異世か……」
 朱月童子の言葉は嘘ではないのだろう。
 それでも嘲って言ったのは、晴明でも頼光の所まで辿り付けぬか、行けば戻れぬと思ったからに相違ない。つまりそこは、月の者といえど見通すことの出来ぬ場所。
 もしそこに辿り着き、頼光を捜し当てたとして、連れ戻すことが出来るのか。
 だが、もう、こんな物は見たくない。
 色が失われ、救いもない景色など。
「……頼光……」
 不意に晴明の視界が歪んだ。
「……まだ私にも涙が残っていたか」
 見つけたとしても、頼光が戻ってくれるとは限らない。
 だが、憂うより先にすべき事はある。
 晴明は顔を上げ、厚い雲の上にある昼の月を見上げた。
「必ず頼光を捜し当てよう。御前の思うようにはならぬ」
 炭と灰の混じった土の上を歩き、呟く。
「此の土の上にも、また花々は咲く。私の(かばね)の上に草木は芽ぐむ」
 晴明の沓の下で、黒い水が揺らぐ。
「……頼光……!」
 もう一度、晴明はその名を口にした。
 現世に、その名を持つ者を呼び返すために。
――了――

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