名月

 木々が赤く染まり、俺の姿を覆い隠す。
 追縋る罪人達の血塗れの手のような葉の中に、時季外れの桜の花弁が混じった。
「来たか」
 千年待ち望んだ気配。
「まだ自由を手に入れておらぬか、頼光」
 俺がそう言うと、頼光は薄く笑ったように見えた。
 目深に被った兜のせいで、その白い顔の表情は殆ど伺えないが、唇の端が僅かに上がったのだ。
 千年前より白く輝く甲冑の、左肩に結び留め付けられた角。
 皮肉な事に、頼光に奪われるまで、良く見たことなど無かった俺の左の角だ。
「ではお前は自由なのだな」
「そうとも」
「そして、独り、か」
「俺を縛るしがらみなどは要らぬ」
「ここで私を待っていたのは何故だ」
「お前を自由にしてやろうと思うからだ」
「それはしがらみではないのだな」
「俺がしたくてする事だ、しがらみなどではない」
 俺の棍をかわしきれず、頼光の身体が弾き飛ばされる。
 が、次は頼光の白い剣が俺の肌を刻んだ。
「私もしがらみに繰り操られている訳ではない」
――何を言っているのだ、この男は?
「……傀儡が!」
 もう一度俺を凪ごうとした白い剣を棍で弾いて、岩を蹴って跳んだ。
「他人の都合で糸を引かれ、刃を振わされているではないか」
 刑場だったというのに、美し過ぎる渓谷。
 切り落とされた首から散る血飛沫のような、舞う紅葉を照らす満月を見上げる。
 角を折られた時のような月輪。
 呟いている間に、月光を白く弾く風が吹き付けた。
 月の美しさに一瞬見とれて、防御が遅れた。
 呪文の書かれた剣が、また俺の肌を切り裂く。
 棍で吹き飛んだ頼光は、それでも俺に剣を向ける。
 肌が泡立つ。
 髪が逆立つ。
 ああ、これだ。
 女のような美しい姿をして、俺よりずっと細い腕で、それなのにその剣は神鉄の打棍で受けても骨まで痺れるような痛み。
「……神をも屠る……か」
 異世のモノすら屠る力を持ち、それでいて、自分自身は死と生の狭間にあって、転生もならず、その力を利用されて傀儡として扱われる。
「哀れな傀儡よ」
 これほどの男が、自由に生きる事も死ぬ事も出来ずにいる。
「我が宿敵よ、今俺が、お前を縛る鎖を断ってやる、さあ源の力と命を寄越せ!」
 白い鎧ごと、頼光の臓腑を抉り穿つように打棍を突き出す。
 しかし棍が突いたのは、流れる頼光の黒い髪だけだった。
「私は自らの意志で戻ってきた」
 頼光の髪は、水がこぼれ落ちるように、するりと棍から抜ける。
「私がしたくてしている事だ。お前の言葉ではしがらみではないと言うことになる」
 その言葉と同時に、頼光の剣が俺の上に降ってきた。
 痺れるほどの痛み。
 そして、生きているのだという実感。
 続いて横を凪いだ剣を避けて、俺は跳んだ。
「またまみえようぞ!」
 俺の発した言霊に報いて、頼光の唇が動くのが見えた。
「ああ、そうだな」
 さて、それはいつのことか。

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