場所は知れた。
だが、晴明に知られず奪う事の出来ぬところ。
「どうか言わずに、その胸に収めて置いて頂けませぬか」
其処は天の麓。
月の者である晴明が、地の姿を眺めて住まっていた場所。
四天王にも聞かれぬよう、晴明は其処に頼光を招いた。
小さな質素な庵の前で、晴明は頼光に言う。
「それは彼奴の一部……なのか」
「そう、これを奪いて齎したるは我が罪。されどこれを戻さば、とても彼奴の企みを阻む事は叶いますまい」
「それで貴女は何となさる」
「何も」
晴明は口の端で僅かに笑ったように見えた。
「彼奴が滅べば、人は元の姿を取り戻しましょう。そうすればもう私は必要ありませぬ。我がいとし子らが自らの足で歩むを楽しみに……」
死を望むべくもなかったこの天女は、死を望み、憧憬していたのかもしれない。
そしてこれこそが、死を紡ぐのに倦んだ、頼光から最も遠いもの。
「人の命など儚いものにございますね」
晴明の声は、夢見心地にさえ聞えた。
死によって、肉体を蝕む苦痛と、罪をも浄化されると信じていたのだ。
咳込んだ晴明は、その血で白い袖に赤い花模様を染めた。
「……ここは退いて頂けませぬか」
頼光は返答の代わりに沈黙した。
晴明は力尽くで訊ねれば抗うと言った。
「その愚かしさを貴方の魂の墓標と致しましょう」
晴明は両手の扇を鳴らし、舞い上がった。
死に瀕しているとは思えぬほど、晴明は早く舞い、強力な術を放ってくる。
「まさに……神をも屠る力……」
病んでいるとはいえ、扇で頼光の剣を受ける度、晴明の全身が軋み、痺れていく。
「その力を彼奴に向けようとは思いませぬか」
飛翔し、その姿を晦ましながら、晴明は頼光に言う。
頼光は晴明だけを見、晴明だけを追っていた。
――もう少し
頼光の巫力が切れるまで逃げおおせれば。
だが、晴明が思うより、頼光は強く、そしてその身は蝕まれていた。
頼光の剣を弾いた瞬間、意識が遠のき、晴明は落ちていった。
――頼光
晴明は笑っていた。
――白珠を道連れに逝きます。何卒彼奴を屠り給え
落ちていく晴明を抱き止めたのは地ではなく、人の腕。
懐かしい、愛しい、恋しい魂。
――……頼光……?
今度こそ、本当の晴明が腕の中にあった。
左の腕で晴明の頭を支え、右手でそっと顔を隠す髪を払う。
そこに施された呪は、むしろ月の者を防ぐ為だったらしく、異国の物ではなかった。頼光は呪を唱え、施された結界を解き、晴明の眼窩に指を入れる。
腕を持ち上げる事すら出来ぬほど弱っている晴明が、それでも苦痛に身を震わせた。
「……堪えてくれ」
引き抜くと、晴明は身を反らし呻いたが、白珠と身が分かたれると脱力した。
白珠は瞬く間に天へ戻っていく。
「これ程人を慈しんだか」
頼光は腕の中の天人を見つめて呟いた。
その身に白珠を埋め込んだ時も、同じだけの苦痛を味わったはずだ。更に死を知らぬ身を死に晒すほどの毒に、長きに渡ってその身を浸していたとは。
晴明の肌に赤みが差し、呼吸が安らかになったのを見て、晴明を抱いて立った。
「……頼光様……晴明様……!」
頼光の腕の中でぐったりとした晴明の袖の血を見て、貞光は晴明が死んでいると思ったのか、蒼白になった。
「大事無い、着物を替えて清めてやってくれ」
貞光が慌てて整えた床に、頼光は晴明をそっと下ろした。
「……ただ……傷を付けたやもしれぬ。手加減がし切れなかった」
頼光は立って背を向け、外に出た。
俯く頼光に、季武が言った。
「白き光の、天に昇るを見た。あれは白珠……か?」
「……そうだ」
頼光は顔を上げない。
「済まぬ」
「御老人、貴方は言うたではないか、私にこの力があるは天意であると」
頼光は自分の足元を向いたまま。
「……されど、我が死に穢れたる手で、晴明に触れてしまった」
「そなた、連理の枝を見た事はないか」
何故急にそんな話を始めるのか分からず、頼光は季武を振り向いた。
「そなたとて、巫術師なれば分かろう。陰陽の理とて、陰は陽を含み、陽は陰を抱きたるのじゃ。連理の枝とはのう、別々の理よりなりたる木の枝が、融け合いて一つのものとなっている木じゃ。異国の者である晴明が、この地の巫術を使えるのは、彼の者がこの地と連理をなしたる為じゃ」
ゆらゆらと季武は言う。
「異国の者であろうとも、この濁世を愛し、共に死のうとした晴明が、如何でそなたを穢れていると思う筈があろう」
「私が……穢れてはいない……と」
頼光は季武の言葉に打ち震え、そして月を見上げた。
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