山吹 

 晴明は白珠を齎した事が誤りであったと、自分を責めている。
 だが、季武は、頼光が千年の惰眠を貪ったのが発端だと言うのだ。
 頼光で無ければ救えぬと。
 人も。
 ……人でないものも。
 季武の言葉に胸を衝かれ、そして、何か含まれた物に思いを巡らせる。
「頼光、お寝みになりませぬのか」
 月光を弾く白銀の鎧を着けたまま、静かに立つ頼光に、晴明が声を掛けた。
「……既に何年も眠った」
 晴明に背を向けたまま、頼光は言った。
 初めて聞く頼光の声だった。が、不思議と、晴明はさほど驚きはしなかった。こんな声であると、前から知っていたのかもしれない。
「結界を施してあります。お寝みいただき、次なる戦いにお備え下さい」
「貴女こそ寝むが良い。私も巫術師なれば、貴女が眠っておいでの間くらいは、煩わしき羽虫どもの動きは封じよう」
 誰かに自分の身を案じられるなどとは、しかも頼光にこのようなことを言われるとは、考えた事もなかった晴明はたじろぎ、絶句した。
 頼光は振り向き、開かぬ目で晴明の顔を覗いた。
「顔色が悪い。貴女の心願が成るまで、もう私は何処へも行かぬ。休むが良い」
 表情を読まれるのを怖れて、晴明は扇を開いて顔を隠した。
 それを頼光は拒絶と取った。
――亡者に等しき穢れた身、貴女に触れはせぬ
 瞼の内で、偽の晴明が誘うように艶然と微笑み、腕を伸ばす。それが眼下の麗人と重なり、頼光はかぶりを振った。
「疾く寝まれよ。四天を再び得るのであろう」
 頼光は再び晴明に背を向けた。
 晴明はそれを怒りと取った。
――心あるを有無を言わさず、手足の如くに利用するを憤りておいでか
「……忝う存じます」
 晴明は頼光の背に向かって頭を下げ、戻っていく。

 だが、晴明は遂に倒れた。
 残る綱と公時を取り返し、巨虫を封じ直したのを見届けると、咳き込み、膝をついた。
 頼光は空を切り、急ぎ晴明の元に降り立ち、伸ばしかけた手を、……引いた。
 その逡巡の間に、晴明は立ち、後ろを向いた。
「……戻りましょう」
 それきり晴明は姿を見せなかった。
 貞光に問うても、いつものように抑揚のない声で、
「晴明様はお会いになりませぬ」
 と言うきり。
 晴明の寝所の外で立ち尽くす頼光に、季武が歩み寄った。
「晴明は如何したか」
 問うた頼光に、
「ふふん、ようやっと口を利いたか」
 と、言い放つ。
「我は言うた筈じゃ、そなたで無くば救えんのじゃと」
 頼光は言葉の意味を図りかね、黙した。
「また黙るか。そうやって、また現世を見捨てるか」
 季武の言葉には棘があった。季武自身もそれに気付いたらしい。
「……年経りてなお、我ながら大人気ない事じゃ。したが、そなたが異世に居る間、封じられてたとはいえ我等は現世に在って、その阿鼻叫喚の様を見せられて居ったのじゃ。その度に晴明の心は苦悶しておった」
 季武は、頼光を責めていた。
 彼もまた、骸の檻に封じられていた間、いっそ人も滅んでしまった方が良いとさえ思うほど苦しんだのだろう。
「将門の言うたを覚えて居るか」
 頼光は顔を上げ、季武の方を向いた。
「あれは人の身を損なうものじゃ」
 今度は季武が後ろを向いた。言うまでもない、白珠の事だ。
「あれを守り、一番近しいところに在るは、誰じゃ」
 頼光はやっと気付いた。
 最初に霊宝院で白珠を見た時、月光を凝らした物と思えた。
 その月光の気配を紛らし覆い隠す事が出来る者、そして最も確実にそれを守り得る者。
――本当の月の光
 白珠よりも白く光る。
 晴明が倒れたのは、白珠の近くに在る為なのだ。
「古の大巫術師たるそなたが、今の今まで気付かぬのじゃ。晴明の読みは正しかったのじゃろう」
「それでは……晴明はどうなるのか」
「そなたが思う通りになろうよ」
――死
「馬鹿な。……あれは……人ではあるまい」
 誰も思いつつ口にしなかった事。
 それに一縷の希望を抱き、頼光は言ってしまった。
「魂は損なうまい。……だがな、その器は人の肉じゃ」
「承知で――」
「承知じゃとも!」
 季武はわなわなと震えていた。
「我等四天王と呼ばれながら、晴明一人の力に到底及ばぬのじゃ。そなたが戻るまで、己が身一つ助くる事が出来ぬ程度の者じゃ!いかで晴明が命を削りて隠せし白珠を奪う事が能おうぞ」
 それは、自身への怒り。
「我等にそなたの力があれば、数年もの間、唯一人、晴明に血の涙を流さするものかは!」
 そして天への呪い、……頼光への恨み。
 大きく一つ嘆息し、季武は頼光に向き直った。
「……古の巫術師よ。何故天はそなたを選びたるかを思え。そして我が嘆きを聞くならば、この老体だけでなく、綱、公時、幼き貞光の命までをもそなたに捧げたかを思うてくれ」
 頼光は立ち尽くしていた。
「そなた……、晴明を想いて戻ったのであろう」
 頼光は僅か、身を震わせた。
「そうじゃ、卑怯と呼ばわろうと、構う事ではない。我はそなたの弱みに付け込もうとしているのじゃ」
 季武は自身を嘲笑い、見えぬ顔で頼光を見据えた。
「そうじゃ、天はそなたに剣を振るわす為に、晴明をこの濁世に遣わしたのじゃ。そなたは人の命の、都のどうなろうと知った事ではあるまいが、晴明の涙一筋として耐えらるるのか。晴明の落としたるは命を削りし血の涙ぞ」
「……私は」
 頼光はぽつりと言った。
「この……穢れた手では、晴明に触れることすら叶わぬ」
「穢れた……と思うてか」
 季武はゆらゆらと歩き出した。
「したが、穢れた者が浄化を成さしむものかは」
 闇の方へ進みながら、季武は低く言う。
「穢れたると思うて居れば、我等の命を担保にしてまであの晴明が縋ろうものか。そなたこそが、伸べた晴明の手を振り払ったのであろうが」
 頼光一人が立ち尽くしていた。

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