山吹 

 再び自分の前に降り立った頼光に、晴明は一瞬言葉を失った。
 どんな言葉を言おうとしても、涙が出そうだったからだ。
 頼光は以前と同じく、目を開かず、口も開かず、静かに晴明の方を向いただけだ。
 それでもその内に心を伴っている事を、晴明も今度は知っていた。だからこそ、縋りつきそうになる弱さを見抜かれるのではと怖れ、眼を閉じた。
 泣いている隙などない現状を、自らにも思い出させる為に。
「……待ち侘びましたよ、頼光」
 それでも声が震えた。袴の中で膝の力が抜けそうだ。
 数年もの間、結局は独りで戦っていた晴明は、僅かとはいえやつれていた。
 不憫と思った三人が逃げよと諭した為、唯一人年若い貞光だけは晴明の傍にあったが、それとて、晴明が奈落に意識を飛ばす間に寄り来る妖を払うので精一杯だ。
 ただ、やつれてはいても、数年を経て、その美しさに遜色はない。
――本当の月の光よ
 人の肉を持ちながら人でないもの。
 開かぬ目で、頼光は晴明を見つめていた。
 手を伸ばせば届く所に、愛しい者は立っていた。だが、そちらへ手を伸べることは出来ない。
――本当の月の光は抱く事は出来ぬものじゃ
 かつて奈落へ頼光と共に堕ちた者は言った。
――そうとも、永遠にこの魂が私の手に触れる事はない。だが、晴明が私を呼んだのだ
 今となれば、偽の晴明と似ているのは形ばかりと知れる。
 あれ如きの術に嵌ったのは、あの時の頼光に迷いがあったからに他ならない。
 触れる事の叶わぬ相手と薄々感じつつ、惹かれて行く自分に気付かぬよう、あがいていたのだ。
 胆の決まった頼光は、その内から滲み出る月光に痛いほどの眩しさを覚えながらも、晴明から顔をそむけはしなかった。
――私に迷いがあったばかりに、辛い目にあわせた
 誰も月を見上げずとも、月光の美しさが損なわれる訳ではない。
――されど、見ることしか叶わぬ私は、それを覆う雲を晴らす
 頼光は、奉魂の剣を強く握り締めた。

 将門の魂は既に変質していた。
 数年の間に、その恨み、苦しみに縋るように取り付いた悪夢に、将門自身も狂わされていた。
 封じても、もうその魂が穢れ腐れていくのを留め得ぬほどに。
「異国の力……人の手には余る」
 それを言いつつ欲するは、既に人の身ではないと、将門自身も分かっているのだ。
 そしてその、人の手に余る力を齎し、守らんとする晴明も、人でないと将門は言っているのだ。
 だが、放たれた禍々しい気は、奉魂の剣に弾かれ、自らの元へ帰っていく。
 今度こそ、将門は消えた。
 異世で霧散した偽の晴明のように。
 戻った季武は、晴明を慰むように言う。
「そなたが降り立ち、我等が縋った。その時総ては定まったのだ」
「季武……」
 静かに立つ頼光の横を、ゆらゆらと季武は通り過ぎる。
「責はほかにもあろうよ。だからこそ応えて、戻ったのであろう、頼光」
 季武は囁いた。
「そなたに捨てられ朽ちんとした、人の世の惨状を見兼ねて、晴明は降り立ったのじゃ」
 頼光以上に表情を伺う事は難しい季武が、僅かに肩を落としたように見えた。
「……そなたで無くば救えんのじゃ、頼光」

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