山吹 

「頼光……」
「……厭われてある身で、あまつさえ、御身に剣を向け、触れた事をお許し願いたい」
 死闘を終えた男は、ふらつきながら歩み寄った晴明に、静かに言った。
「……厭う……とは」
 予想外の言葉に、晴明は立ち止まった。
「……随分回復された様子、されどまだ御身は完全ではない。館に戻られよ。星降はなくなった」
 死闘を演じた者が、それを果たしながら物を隔てた物言いをする事に、晴明は打ちのめされた。
 頼光は、……近寄るなと言っているのだ。
 言い知れぬ悲しみを胸の内に抱き、晴明は頼光と共に四天の待つ館へ戻った。
 武装を解き、身を清めた後、頼光は庭を歩いた。
 目的は果たしたのだ。
 再び封じられるのも遠い事ではない。
 転生の道から外れた頼光は、恐らく二度と見る事ができないだろう現世を見ておきたかった。
「晴明……」
 無意識に晴明の寝所の方に向かっていたらしい。
 其処に、やはり眠れず、そぞろ歩きだったらしい晴明の姿を認め、頼光は立ち止まった。
 単衣に夜着を纏った晴明は、頼光に気付き、歩み寄った。
 そしてその足元に膝をつき、手をついて頭を下げた。
「苦労をかけました」
「立たれよ、病みたる身、冷えようぞ」
 頼光は僅かに後ずさる。
 晴明は更に打ちのめされた。
――それほど私の事がお嫌いなのですね
 致し方ない事、と思っても、大きな悲しみが胸を覆った。
「いいえ、ご心配には当たりませぬ」
 晴明は顔を上げず、地に伏したままだった。
「されど……御恨み申上げる」
 頼光の足が止まった。
「勝手に眠りを妨げ、傀儡の如く貴方に指図し私を、お厭いではございましょう」
 晴明が顔を上げた。
 白い頬から涙が落ちた。
「されど、斯くまでして私から死を奪われますか」
「私が……貴女を厭うている……と」
 頼光は膝をついた。
「厭いたる故貴女を助けたと……言わるるのか」
 晴明は地に伏し、肩を震わせていた。
「この身は……貴女に触れることはならぬ……されど」
 頼光は呟いた。
「私は……貴女を道満の待つ黄泉には遣らぬ」
 伏したまま、晴明が瞠目した。
「この穢れたる身では、貴女に触れるは叶わねど、あの者に貴女を渡しとうはない」
 苦悩の表情で呟く頼光を、晴明は涙の目で見上げた。
 頼光は、人形の如く無表情だったその顔の、眉間に皺を寄せていた。
「それは……貴方の身が穢れているとは……如何な意味でありましょう」
「私は亡者に等しき、死を紡ぐ者」
「それを穢れと思われまするのか」
 晴明はもう一条涙を落とした。
「総てを浄化する者が、穢れてあろう筈がありますまい。むしろ、親を捨て、屠るを望んだ私は、貴方の修めたる死によって浄化さるるを望みましたものを」
「貴女の何れに清むるべきものがあろうか」
「私の罪は購わせて頂けませぬのか」
 晴明は、泣いている。
「貴方に救われた命であれば、私自ら絶つ事は出来ませぬ。この霊肉に永遠に罪を刻んで奈落へ参ります故」
 天人が、亡者たる頼光の足元に身を投げ出し、伏し願った。
「何卒私に死を賜れ」
 頼光は驚愕し、偽の晴明と共に燃え落ちた時のように、身動きできずにいた。
 だがこれは、本当の晴明。そして苦悩し、嗚咽している。
「……貴女が」
 頼光は晴明の姿を見ぬよう、天を見上げた。
「白珠を齎さねば、人は滅びていたろう」
「頼光……!」
「晴明……もう泣かるるな。貴女の微笑むを見て戻りたい」
「そうして……また私独りを置いていかるるのですね」
 頼光は遂に耐え切れず、晴明の肩をつかんで起こした。
 袖で晴明は顔を覆った。
「もう……泣かるるな」
 晴明の泣き震える肩を抱き締め、頼光は呟いた。
「貴女に涙を流させぬ為に奈落より戻った。貴女の苦しみを除く為に剣を振るった。それでも貴女は泣かるる。私はどうすればよいのか」
「頼光……」
「死を紡ぐばかりのこの手も、愛し者の命を紡ぐ事が出来たと思うたを、貴女はそれを屠れと申される」
「頼光……」
 慟哭するような頼光の言葉に、その腕の中で晴明は顔を上げた。
「私を……厭うておらるるのではないのですか」
「厭うて居れば、……もとより奈落より戻ろうか。私と共に奈落へ落ちたる者は、人の身で貴女に触れる事は叶わぬものと」
「何という事……」
「正直……都の、人のどうなろうと、白珠を除いた時に、……貴女を腕に抱いたまま……攫って逃げてしまおうか迷った」
 頼光の単が、晴明の涙で濡れた。
「さりとて、仮初の身、生ある者を無駄に屠らねば在る事すら叶わず……」
「貴方を失った時……どれ程貴方の名を呼んだ事でしょう……」
 頼光の手が、晴明の頬に触れた。晴明は手を重ね、頬擦りした。
「この手が我がいとし子を救って下さった。これほど罪の深い私の声を聞いて下さった」
 晴明は袖で涙を拭って、
「此は私の我儘でございました。お恨み申し上げるなどと……」
 つ、と頼光の胸を押しのけ、再び地に手をついて頭を下げた。
「御見苦しい所をお見せしました。ご無礼の段は平にご容赦下さいますよう」
 言い終えると、晴明は立って背を向けた。
 ひらと舞う姿を追い、頼光は晴明の腕をつかんだ。

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