落雨滂沱1

 道満は御簾の前にひれ伏していた。
「芦屋、で、その晴明とはどんな男じゃ」
 御簾の横でふんぞり返った男が、尊大に言い放つ。
「良くは存じませぬ」
 道満は顔を上げた。
「それに、『男』ではないやも知れませぬ」
 居並ぶ者達がざわめく。
 御簾の向こう側さえ、ひそひそとなにやら話している。
「……ならば、むしろ好都合と言うものじゃ」
 御簾の奥から出て来た男が、一際通る声で言った。
「男ならば、皇女を娶らせ宮中に留め置こうと思ったが、女だというなら、朕の後宮に置けばよいのじゃ」
 帝は杓で口元を押さえ、喉の奥で笑った。
「この際美醜など問題ではない。都を守り、宮中の権威を守る為じゃ」
 ひれ伏す者達の間を、歩き回りつつ帝は周囲を見渡した。
 先日まで妖鬼達の襲撃に怯え、十重二十重に警備を置いていたというのに、白珠でそれが一掃された今、帝は自分こそが天意であると声高に言い始めたのだ。
「申し上げます。安倍晴明参内いたしました」
 先鑓がやってくると、ざわめいていた者達は与えられた席に戻り、口をつぐんだ。帝も慌てて御簾の奥へ戻っていった。
 さらさらと衣擦れの音。
「お召しにより、晴明参内いたしました」
 回廊より凛とした、しかし滑らかな女の声がした。
 が、その姿が見えた時、皆が息を呑んだ。
 ただ独りでやってきたその者は、顔を上げ、緋色の毛氈の上を進む。
 顔の左半分を髪で隠してはいるが、ひどく美しい女だった。
 場の空気が光を含んだかのように、ふわりと明るくなる。
「そ、そなたが安倍晴明と申す巫術師であるか」
 目が合った男が、うわずった声で言った。
「左様」
 狩衣に烏帽子だった。
「そなた、いつもそのような……?」
 御簾の奥から帝が尋ねた。
「動けませぬと、妖鬼を打ち払うのもままなりませぬ故、袍や直衣でなく御無礼致します」
 髪も簡単に束ね、眉も落とさず化粧も無い。手にしているのも桧扇ではなく、男の紙扇。
 帝は唸った。
 男でないのに、女ではないと主張しているのだ。
 これでは皇女を与えるわけにも、後宮に入れることも叶わぬ。
 場は静まってしまった。
「他にご下問がおわしませねば、私はこれにて」
 優雅に一礼して立ち上がると、沓音もほとんど立てずに晴明は退出した。
 空気に残った光が消え、帝が怒鳴った。
「芦屋! あれがどれほどの巫術師なのか、調べよ!」
 道満は立ち上がり、部屋を出た。
 まだそれほど遠くまで行っていまいと思ったが、禁中の前庭にも全く気配がない。
「今内裏から出て来た者はどちらへ行った?」
 警護の者に尋ねたが、不思議そうな顔で、
「安倍晴明様がお通りになられた後は、どなたもいらっしゃいませぬ」
 警護は晴明が「出て行く」ところは見ていないのだと、道満は察した。
「車はどこに停めた?」
「いえ、独りで歩いてお越しになられました」
 空をぐるっと見回したが、何の気配も感じることができない。
 道満は走り出した。
 先ほどの場で、見えぬ糸を付けようとしたのだったが、内からの光に溶け、失敗したのだ。
 息を切らして大門を出て、どうしたものかと思った瞬間、月の光の下に求める姿を見つけた。
「姫……君……、お車はど、……どうなされた」
 まだ息も整わず、道満がそう言うと、晴明は眉も動かさず、喘ぐ道満の肩を見ながら冷ややかに言った。
「晴明と」
 道満は慌てて言い直した。
「せ、晴明」
「車で来ていませんので、芦屋殿」
 ようやく息を付いて、直衣の袖で額の汗を拭った道満をちらりと見て、晴明は背を向けて歩き出した。
 道満が晴明に追いついたのではない。晴明は道満を待っていたのだ。
「いや、なれば、儂のことも道満と」
 道満も晴明に並び、歩き始める。
「邸まで送ろうほどに」
「結構です、道満。内裏に戻らなくて良いのですか」
 月明かりのせいなのか、内裏で見た時より、目の前の晴明は神聖な光をまとっているように見えた。
「いや、あの」
 頭を掻き、言い訳を考えている最中に、道満は突然気づいた。
「晴明、さっきのは」
 まっすぐ前を向いていた晴明が、ようやく道満の方を向いた。
「おや、気付いたのですか」
「まさかそなたは本物であろうな」
 内裏で帝の前に立ったのは、式だったのだ。
 探りの糸を付けようとした(失敗したが)、その巫術師の顔を見る為に此処で道満を待っていたのだろう。
「さあ、どうでしょうか」
 晴明がほんの少し膝を曲げ、次の瞬間宙に舞った。
「見送りは、此処までで結構」
 その樫の木の枝の上で言った後、晴明はそこから更に跳んだ。
 巫術を使っても、道満は追いつけなかった。

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