「誰だ?」
炎のように赤い髪をなびかせた鬼が、尋ねた。
「お前は誰だ?」
橋の向こう側で、もう一度、その鬼は尋ねた。
「何故名が必要なのですか?」
その人影は、巨躯の鬼を怖れる様子もなく、静かに訊き返した。
鬼は首を捻った。
「お前は人ではないな? 何処から来た? 此処に在るべき者ではなかろう?」
その人影は答えなかったが、鬼は続けた。
「お前の傀儡は来ないのか?」
「頼光は来ません」
人影は扇を開いた。
「まだ、私には頼光が必要なのです。お前の手に渡すわけには行きません」
鬼は鼻で笑った。
「お前が俺の相手をすると言うのか? 其処に立っている事すら苦しいであろうに」
その巨躯に似つかわしくない俊敏さで、その鬼は人影に駆け寄った。
「都が滅んだとて、俺の知ったことではない」
「お前は前もそうでしたね」
白に桜花の影を映し込んだ色の狩衣は、ひらり、と舞って鬼の打棍を避けた。
「ほう? 俺を知っているのか?」
ただの舞扇と見えるそれが、神鉄の打棍を弾く。
鉄扇で受けたような音が響き、鬼の腕にも痺れが残った。
「死にかけとは思えぬな」
「したが、お前には見抜かれた」
「頼光は気付かぬのか」
「恐らくは」
「なるほどあれらしいことだ」
鬼は小さく笑った。
「俺を知っているなら、俺が頼光と争う理由も分かろう。あれの魂を解放するには、お前を征伐せねばなるまいか?」
「私の命如きが欲しいなら、くれてやらぬでもないが」
人影は咳込んだが、気丈に立って言った。
「だが、それは今ではない」
「そうだな、俺がお前を連れ去れば、頼光が取り返しに来ようか」
「頼光が来るものか」
人影は嘲るように言った。
「頼光には他に成すべき事がある。そもそも、私を易々と連れて行けると思うなよ」
この地に在る者とは違う理の、鬼の知らぬ術が人影を包んだ。
鬼は跳び、空を見上げてから言った。
「俺には頼光を現世に戻すことはできぬ。黄泉返らせた事に免じて、もう少し待ってやろう」
「いいえ、頼光は渡しませぬ」
人影は鬼を睨んだ。
「お前が死ねば、御しようもあるまいが」
鬼は遠くから言った。
「お前が死んだら、頼光も黄泉に送ってやろう。楽しみに待っておれ」
「いいえ、頼光は参りますまい。お前が来るのを待ちましょう」
血の気の失せた顔で、人影は鬼の言霊を打ち消す。
「口の減らぬ女よな」
その影が橋に膝をついて咳込むのを見たが、鬼はそのまま、わずかに色付き始めた木立と靄の中に消えた。
――了――
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