外伝 オデッセイア13


 ペネロペがテレマコスに伴われて広間に入ると、何時にないどよめきが上がった。
 普段なら末席に追いやられるテレマコスも、母の隣の、王たる場所に席を占めた。ペネロペの脇にアテナは座り、浮浪者とはいえ、旅の者に与えられる権利によって、オデュッセウスも入口近くに座を与えられていた。
「お静かに!」
 テレマコスは立ち上がって、両手を挙げた。普段と明らかに違う様子に、求婚者達はテレマコスの言葉を待った。
「御覧の通り、母はその父イーカリオスの勧めもあり、この占者の申す通り、再婚する事を承諾致しました。私も母の選んだ方に、息子として従う事と致しましょう」
 テレマコスが宣すると、再び、大きく広間はどよめいた。
 アテナは、そっと、ペネロペにオデュッセウスを教えてやったが、余りにも違う姿に、ペネロペはアテナの言葉を信じきれない様子だった。
「さても疑い深い女だ」
 水色のヴェールの下で溜息をついて、アテナは呟いた。
 ざわめきの中から、エウリュマコスが立ち上がって言った。
「では、早くに選んでいただきましょう。我々は既に散々待たされておるのですからな」
 勝利を確信しているアンティノオスは、並び座る二人の美女を、既に得た物と思い、劣情をその目に溢れさせていた。
「それでは」
 アテナが立ち上がった。
「殿下、オデュッセウス様は王妃様との婚礼の折に、ヘファイストス様より弓を御下賜されておられましょう。その弓をお持ち下さいませ」
 ペネロペがあっと小さく声を上げた。
 それを使う事が出来るのはオデュッセウスしかいないと言われていた事を思い出したのだった。
 クレオパトラがペネロペにしまってある場所を聞いて、まもなくそれを捧げ持ってきた。
「では、王妃様を得ようと思われる方のみ、こちらにお残り下さいませ。殿下はお立会い下さいますよう」
 クレオパトラが酌をしていた侍女たちも外へ連れ出し、外から総ての扉の鍵を掛けた。
 ようやく求婚者達は、占い師である筈の女の放つ威圧感に気付き、静まり返った。
「この弓で、あの的を射抜きました者が、この国の王となるべきでございましょう」
 アテナは破風の飾りの中の、小さい穴を指差した。
「よおし!」
 一人目がよろよろと歩み出た。彼は酔いの為、アテナの威圧感に対しての恐怖が薄く、立ち上がることが出来たのだった。
 だが、中央のテーブルに置かれた「弓」を見て、彼は固まった。
 弓弦を張るどころではない。彼はこんな物を見た事がなかった。
 それは、銃と言うべき物だったのだ。
 なすすべもなく、彼は席に戻った。
 それを笑い、勇気を振り絞って次々と求婚者達が立ち上がるが、同様に皆席に戻っていった。
 オデュッセウスは燃えるような瞳をしてそれを眺めていた。
 皆が打ちひしがれて席に戻ると、アンティノオスが徐に立ち上がった。
 その『弓』を手にとり、色々いじりまわす。だがやはりなすすべもないことが分かると、アンティノオスは『弓』を床に叩きつけた。
 ペネロペやテレマコスは、壊れてしまいはしないかと怯えたが、アテナは軽く、不快感に眉を寄せただけだった。
 その程度の衝撃でヘファイストスの作った物が壊れよう筈もないことを確信していたのである。
 オデュッセウスが立ち上がった。
 それまで、求婚者達はそこに老人が残っていた事に気付いていなかったのだった。
「……おい、じじい。まさか、お前もやって見ようなどと言うのではあるまいな」
 口惜しさに酒をあおりながらエウリュマコスが、オデュッセウスに言った。
「目の前の美女に食指が動いたか。好色なじじいめ」
 イラついていた求婚者達は、口々にオデュッセウスを罵った。
「誰もこの弓で射る事など出来はしないではないか。そなた、この責めはどう取るのだ?」
 誰も条件をクリアできないと見て、酒を片手に、アンティノオスはアテナに近付く。
 アテナの顔を覆っていたヴェールを引き剥がし、杯を投げ捨てた。
「おお、素晴らしい美女ではないか。こんな物で隠しているなど、何と勿体無い事よ。服で覆い隠すのも惜しい体じゃ、その肌を以って、この責めを負うが良かろう」
 アンティノオスが息を荒げ、舌なめずりをした。
 同時に、オデュッセウスが『弓』を手に取った。
 その瞬間、『弓』が微かに光と唸りを上げた。
 瞬きをしていなかった者は、『弓』から光が出て、アテナの指し示した的に吸い込まれたのを見た。
 そして、何かが起きた事を察して振り向いたアンティノオスの眉間に、同じ光が吸い込まれ、後頭部を抜けた。
 アンティノオスの頭を貫いたその光は、更に石の壁に小さい穴を穿った。
 頭の前後に開いた穴から鮮血を迸らせて、アンティノオスは倒れた。
 床に出来た真紅の池の中で、泳ぐかのように全身を痙攣させるアンティノオスを見て、声も上げずにペネロペは失神した。
「止めろ!オデュッセウス!」
 アテナが止める間にも、次々と求婚者達は血飛沫を吹き上げて倒れていく。
 アテナの口から出たオデュッセウスの名に、更に恐怖を募らせ、逃げ惑い、扉の前に折り重なり、求婚者達は救助を求めた。
 それをまたしても光の矢が、重なった者と、青銅の扉を射抜いた。
 その内の一つが扉の錠をも射た為、扉は自身に掛かる重みを吐き出し、たまたまその前を通りかかったエウマイオスが悲鳴を上げた。
「止めろ!」
 アテナに肩を掴まれ、オデュッセウスが引金から指を外した時、生き残っている者も既に正気を失い、泡を吹いて倒れていた。
「もう良い。もう止めておけ」
 血走った目をしたオデュッセウスの指を、アテナは一本ずつ解き、『弓』を取り上げてテーブルに置いた。
 更に血の池を広げているアンティノオスを見つめているオデュッセウスをそのままにして、アテナはテレマコスに抱えられているペネロペの顔を覗き込んだ。
 テレマコスも蒼白になっていたが、とりあえず問題ないと見て、アテナはペネロペの顎を下げて口を開かせ、宴に供されていたワインを含み、ペネロペと唇を重ねた。
 一筋その間からワインがこぼれたが、ペネロペの喉が上下し、ワインを嚥下した事が窺い知れた。
「母上!」
 アテナはペネロペと唇を離し、オデュッセウスの腕を掴んで、ペネロペの脇に座らせた。
 ゆっくりとペネロペが瞼を開けた。
「ペネロペ、私が分かるな?」
「……アテナ様……」
「そうだ。そしてヘファイストスの弓を引いた、これがお前の夫だ」
 ペネロペは小さく頷いた。
「オデュッセウス、ペネロペを部屋に連れて行って、お前達は休むが良かろう。クレオパトラが持っている薬を塗って体を洗えば、その髪の色も肌も元に戻る。本当の姿を見せて、安心させてやるのだな」
 ようやく理性を取り戻したオデュッセウスは、アテナの言葉に従い、ペネロペを抱き上げた。
 悲鳴を聞いて駆けつけてきたクレオパトラに、死体を片付けさせ、生きている者を手当するよう家人に言いつけさせる。
 今度はテレマコスの腕を掴んで立ち上がらせると、アテナは言った。
「これで終わりではない。先程、女が一人、男が二人、駆け出て行った。この者達の家に知らせに言ったのだろう。武装して此処へ来るに違いない」
 震えながら、テレマコスは頷いた。


<<prev  next>>

Copyright(C)2002 Nyan All right reserved

オリジナル小説TOP

inserted by FC2 system