外伝 オデッセイア12


 オデュッセウスは館を裏から回り、家人の情報を得る事にした。
 ここでも町と余り変わらず、求婚者達におもねる者があり、そうでない者は溜息交じりに、
「オデュッセウス様さえおられたら……」
 と、声をひそめて言うばかりであった。
 食事を分けて貰う代わりにと、雑用を買って出て、オデュッセウスは広間の照明用の油を注ぎに行く事にした。
 獣脂の壺を抱えて回廊を行くと、水色のヴェールで胸までを覆った女性に、アンティノオスが話し掛けているのが見えた。
 顔を隠していようとも、オデュッセウスには一目でその女性がアテナである事は分かった。
「そなた、イーカリオスに命ぜられてはるばるイタケーまで来たのか?」
「左様でございます」
「ならば王妃に私と結婚すべきであると言うが良い。さすれば、そなたにも良い事があろうよ」
 ヴェール越しにアテナはクスクスと笑った。
「まあ、どんなことでございましょう」
 一言の元に断られるでもなく、アンティノオスは脈があると感じたようだ。
 アンティノオスがアテナの腕を掴み、自分の方へ引き寄せた。
「イタケーの王の愛妾になれるぞ」
 オデュッセウスは怒りに我を忘れて、柱の陰から飛び出しそうになった。そこを通りかかった老女が制止した。
「しっ!今出たら殺されるよ!」
「だが!」
「あの占い師は頭が良さそうだ、さっき見かけたばかりだけどね。あんな奴の言いなりにはならないさ。これであいつがどんな奴か分かれば、あの人も奥様にあいつと結婚する事だけは止めてくれるだろうさ」
 エウリュクレイアは、己の主人とも知らず、無謀な浮浪者に言い聞かせた。
 二人は柱の影から、息を潜めてアンティノオスに憎悪の眼差しを向けた。
 アテナはそっと無礼なこの身のほど知らずの手を振り解き、微笑んだ。
「そんな事を仰って宜しいんですの?」
「王妃は銀山持ちだ。幾らでも贅沢をさせてやろう」
 アンティノオスが抱きすくめようとするのを、アテナは笑って、風の様に身を翻した。
 アンティノオスはその後姿を好色そうな目で追った。
 オデュッセウスは柱の影でキリキリと唇を噛んでいた。
「……先ずはお前からだ、アンティノオス」

「オデュッセウスはもう来ているぞ」
 ペネロペの部屋に入ると、アテナはヴェールをとって、何となく不愉快そうに言った。
「本当に……!」
 疑いの言葉とも取れる口を差し挟んだ事に対して、アテナはペネロペを咎めはしなかった。
「……それで、何を怒っておいでなのですか」
 クレオパトラは自分の主人の眉間の皺を見て、恐る恐る訊いた。
「……女の衣装をつけると碌な事が無い。あれがイタケー一の郷士とは、ペネロペも堪らぬな」
「恐れ入ります」
 アンティノオスが侍女達に普段やっている事から、ペネロペにも、彼が目の前の女神に言い寄ったのであろう事は予想できた。まさか愛妾の座を約束している事までは思いつかなかったが。
「テレマコス」
 アテナに人間の男全部を軽蔑されてしまったような気がして、少し沈んでいたテレマコスは、急に名を呼ばれて驚いた。
「は、はいっ」
「広間から武器を全部片付けろ。本当はお前達も持たぬ方が良いのだが、奴らが帯びて来る剣を取り上げる事は出来まいから、まあ、仕方なかろう」
「どうか致しましたか」
「お前の父がひどく殺気立っていたのでな。それに触発でもされて殺し合いになれば、二対一二九では流石に勝ち目は在るまいよ」
 先程の柱の陰からの、二人分の憎悪にアテナは気付いていた。本来ならば、アンティノオスも気付いていた筈だったが、目の前の女性の姿態に心を奪われていた為に、見逃していたのだ。
「ペネロペ」
 アテナは今度は王妃の方を向いた。
「はい」
「お前は今宵の宴に装いを凝らして出るが良い。私の占で婿を決めると言う事にでもせよ。お前の夫を出迎えるのだからな」
「はい!」
 言われた通り、髪を結い上げ、二〇年間閉じたままだった衣装箱を開け、宝石を飾り、婚礼の際に着けた、アテナの手になるヴェールと飾り帯を着け、ペネロペは紅を引いた。
 夫が来ていると言われた事で、ペネロペの頬は薔薇色の輝きを取り戻し、成人した息子が居るとは思えないほどの美しさだった。
 母の化粧の間に、テレマコスは広間の槍や弓、刀剣などを総て撤去した。
 仕事を終えて、アテナに報告する為母の部屋へ戻ると、母の本来の美しさを知らなかった息子は、口を開けてその姿に見とれていた。
「では、参るぞ」



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